霧のあとに

10月にピロリ菌の検査を受けた時のこと。
職場でその話をした。
「来週結果が出るんですよ」
そしたら同僚に言われた。
「え?おかしいなあ。私の時はすぐに
 結果が出ましたよ」


そうですか。まあ小さい病院ですからね、
と答えたが、「おかしいなあ」と言われ
続けたのである。その時に思った。
「ああ、盛岡に帰ってきたんだな」


前の週に個展の搬入で上京して横浜や
東京の友人に会った直後だったので、
特にそう感じたのだ。
別に「そうなんですか」で良い話だと
思うのだが、まず否定される。


これは小さな出来事だが、日常生活で
会う人全てに、ありとあらゆる事で
この対応をされると、だんだん自分が
とんでもなく常識知らずな人間に
思えてくる。


説明しても理解してもらえないし、
そもそも話を聞いてもくれないな、と思う
事も多かった。言いたい事の五合目位で
早とちりされるので極力簡略化して話す
ように心がけたが、理解されなかった。


特に昔から付き合いのある人がそう
だったので、自分はそういう、無知で
強情で人の話を聞かない人間だと
見られているんだな、と思った。
確かにそうだったけれど、今はだいぶ
直ったはずだ。でも、そう見られている。


それが続くうちに、昨年の後半辺りから
だんだん自分に自信が無くなってきた。
今までやってきた事は全て間違いだった
のではないかと考え始めたのだ。
友達に連絡することすら怖くなった。
過去の色んな失敗がフラッシュバックする。


一番堪えたのはそれに抗ったり立て直そう
とする気力が無くなった事だった。
僕は「鳴かせてみせようホトトギス」型の
人間だと思うのだが、その気力が出ない。
生活環境を変えればまた変わるかも、と
考えたが、切り拓く意欲が湧いてこない。
「悪く老いてしまった。終わりかな」
と思った。


2月に一番の友達が亡くなった。
その他にも、ともに楽しい日々を過ごして
きた人達が次々にいなくなった。
世の中はどんどんつまらなくなっていく。


そんな中、4月にある友達にこう言われた。
「鶴田さんは謙遜し過ぎなんですよ」
いつも、僕が間違っていたら言ってくれる
人だったので、その一言には本当に
助けられた。そう言ってくれる人が
一人でもいるだけで、僕は救われる。


そこから考え方を少しずつ変えていった。
「ダメな人間なんだろうけど、自分だけは
自分の味方になろう」
前から考えていたけれど、より徹底する
ようにした。


そして大きかったのが今年の個展だった。
暗澹とした心境で作っていたのに、
まさかあんなに明るいものになるとは。
笑ってしまった。自分の抱えてるもの
なんて大したこと無いんだな、と思った。


「前より地に足が付いた」、「景色に招き
入れてもらっている感じがする」という
感想も本当に嬉しかった。
間違ってなかったんだ、と思った。


50代に入ってからずっと、深い霧が
立ち込める薄暗い谷底を歩いている
ような気持ちで日々を過ごしていた。
ここまで先が見えなくなったのは、
初めてかも知れない。


けれど最近、霧が少しずつ晴れてきた
ような感覚がある。
ここ数年、何度も「だいぶ良くなって
きた」と書いてきてやっぱりダメだった
から「大丈夫サギ」みたいだけれど、
今回は少し違う気がする。


相変わらず色んなことがあるけど、
それに対峙する気力は取り戻した。
まだやれそうだ。少しホッとしている。