1の終わりに

末尾に1が付く年は良い事が無い。
1971年は3歳だったのでさすがに何の
記憶も無いが、その後の1981年、91年、
2001年、2011年はいずれも辛い事が
多い1年だった。


常に意識していた訳では無いが、今年は
「そうか、今年は1が付く年だったな」
と思う事が時々あった。
きつい1年だった。


父が亡くなった事が何よりも大きかった。
それに並行して様々な歪みが表面化して
きた事がさらに辛かった。
家の中も外も、一人でいても全ての刃が
自分に向けられているような感覚に陥り、
ずっと苦しかった。
もうすぐ54歳になるのだが、この歳に
なってまだこんなに苦しい事があるのか
と思った。


少し変わり始めたのは9月の中頃。
友達から言われた言葉と、その人が紹介
してくれた文章を読んで気づく事が
あったのだ。霧の向こうが少し見えた。


その頃進めていた写真展の準備と、写真集
の製作にも救われた。試行錯誤はいつもの
ようにあったが、写真に向かっている時
だけは刃を感じずにいられた。


少しずつ頭の中が冷えてきた10月のある日、
確か個展の始まる1週間前の事。
車で仕事に向かっている時に、外の景色を
眺めながらふと思った。
「盛岡も悪くないなあ」


その瞬間、ああ霧が晴れたなと思った。
そうだった。1が付く年は確かにいつも
何かを失って辛いけれど、どこかで
救われる年でもある。その年で全て再生
できる訳ではないが、きっかけは得られる。
それを大事にしながら進めばまた、
大切なものに出会える。その繰り返しだ。
だから1が付く年は大事なのだ。


今も回復の途上にいます。
まだまだ全てが快調だとは言えないけど、
年齢って思った以上にハードに追い詰めて
くるけれど、楽しくやりたいと思います。


このブログに関しては、もう少し軽く
したいなと(ははははは)。
昔のを読んだら、まあ軽いのね。
それがいいなと思ったので、痛くならない
ように気をつけながらやってみます。
では、良いお年を。