続きと始まり

朝から盛岡で撮影。久しぶりだ。


盛岡の撮影は今年の春で終了したつもり
だった。写真集を作るつもりで(予算は
全く無いけれど)3年間盛岡だけを
撮ってきたが、一度締めようと思った
のだ。


同じ場所を撮り続けていると新しい発見も
あるけれど、その何倍もマンネリと闘い
続けることになる。あれも撮ったこれも
あった。また同じ撮り方をしている。
そもそも同じ場所ばかり撮っている。
結構きつかった。


今年に入ってから久慈や二戸といった、
今まできちんと撮ってこなかった町を回る
ようになり、それがとても楽しかったので、
これからは盛岡以外の岩手を撮ろうと思って
いた。


ところがこないだの個展で、搬入が終わった
瞬間にこう思ったのである。
「足りねえな」


なんか足りない。他にも色んなものを見たし
撮ってきた筈なのに、まだ足りない。
ここまで撮ってきた写真を集めて「これが
盛岡です!」と言っても、なんか足りない。
見逃しているか、上手く撮れていないのだ。


それと同時に新たに掴んだ感覚もあった。
搬入時に何人かの方から「明るい写真ですね」
と言われて驚いたのだが、確かにそうだった。
あんなに陰鬱な気持ちで作っていたのに。
セレクトやプリントのやり方が変わった事も
あるが、それ以上の根本的なところで何か
大事なものがある。その端っこを掴んだ
ような気がする。


もう一つは展示を見てくれた方々の反応だ。
「以前に比べて地に足が付いた」という
感想が多かった。その分写真が見えるように
なったと。すごく嬉しかったのは
「景色に招き入れてもらっている感じがする」
という言葉だった。


3年前、岩手に帰ってきた頃自分の写真を
見直して、「これだと伝わらないな」と
思った事があった。自分の中だけで作って
いて、景色の面白さが上手く伝わってこない。
そこからどうやって行こうかと思って
やってきたので、本当に嬉しかった。


3年間で仕上げるつもりだったけれど、
今はようやく入口に辿り着いたような
気持ちだ。これはもう、続けるしかない。
他の町も撮りつつ、盛岡も撮ります。


今日はあまり考えずに、気の向くまま
撮り歩いた。風が気持ち良い。盛岡の
秋はいいなあ、なんて思いながら撮影
してたら、突然今までにない感覚に
襲われた。
景色と光と風が自分の中に入り込んできて、
その瞬間に僕が盛岡にようやく受け入れて
もらったような気がしたのだ。


何故そう思ったのかは分からない。
でも確実に受け入れてもらったと思った。
それまでどこかよそ者だったけれど、
やっと認めてもらったような気がした。
なので続けます。