耳を塞げば

あまり語りたい事では無いのだが、
これを書いておかないと他の事が何も
書けない気がしている。
ここ数週間、ずっと引っかかっている。
なので極力サラッと書こうと思う。


僕は五輪を一切観ていない。
関連する番組、ニュースの類いも全く
観ていない。ネットの記事も読まない。
ありとあらゆる所で報じているから
完全に遮断する事は難しいけれど、
出来る限り観ないようにしている。
いや、「観ない」と言うより「見るに
堪えない」のだ。


誘致の段階から反対だった。
数えあげればキリがないが、特に
「アンダーコントロール」は許せな
かった。この件に関しては話せば非常に
長くなるので省くが、断じて許せない。


なので元々観るつもりは無かったのだが、
開会式が近づくにつれ推進派と反対派
のやり合いがヒステリックになり、
個人への攻撃が酷くなっていくのを見て、
つくづく嫌になった。


延々続く相手への否定・批判と自説の
マウンティング。ネットに出た情報を何の
検証も考察もせずに鵜呑みして「自説」
として振りかざし、他人の意見は聞かない。
明らかな誤りもあったのに、それに言及
したり修正する人間は殆どいない。


最も辛かったのは個人への攻撃だ。
何らかの(責めても自分に批判が及ばない)
ターゲットが見つかると、推進派も反対派も
尻馬に乗っかってその人を攻撃し、ありと
あらゆる権利を奪う。


ぶつけようの無い怒りが蓄積されたから
かも知れないが、だからと言って集団で
個人を追い詰めて良い理由はない。
巧妙に世論操作されている様に思える部分
もあり、本当に嫌になった。
これのどこが「平和の祭典」だ。
何が「多様性と調和」だ。ふざけるな。


そんな事を毎日考えていたら最後は
怒りと辛さに耐えられなくなり、五輪の
ニュースを観る度に大声を上げてしまう
ようになった。母にも怖い思いをさせて
しまった。
「観ない」どころか「見るに堪えない」
状態になったのである。
なので耳を塞ぐ事にした。
隙間から色々情報が入り込んで来るが、
全て心の火炎放射器で焼き払っている。


だがそのうち、ある事に気がついた。
「結局俺、そんなにスポーツが好きじゃ
ないんだな」


僕にとってはタバコと同じだ。
気が向けば吸うかも知れないけど、
無くても特に困らない。
他に観たいものも聴きたいものも、
読みたいものも山ほどある。
五輪が観られなくなったとしても、
別にどうでもいい。


「選手は死にものぐるいで頑張っている
んだぞ!」とか「感動が」とか「絆が」
とか言われるかもしれないが、知った
ことか。好きな方はどうぞご自由に。
僕は要りません。
死にものぐるいで作られたものは他にも
たくさんある。僕はその中から、自分の
見たいものを自分で選んで観て、ひとり
勝手に感動してますのでお構いなく。


今後の事は分からないが、次回以降も
五輪を観る事は無いかも知れない。
もうこりごりです。