響き

「歌が上手い」という人はよく見かける。
テレビやら何やらによく出てくる。が、「声が良い」と
思える人は、特に日本人ではあまりいない。


どういう事かと言うと、例えばビートルズの場合。
ジョン・レノンのどこか達観したようなクリアでシニカルな声に、
ポール・マッカートニーの強靭で豊穣な声が絡み、その背後で
ジョージ・ハリスンの穏やかでありながらどこか力強い声が響いている。
結果としてそのコーラスはとても豊かな響きを持ち、歌詞の内容やら
メロディーやらサウンド以前に、理屈抜きで聴く者をグッと掴むのである。


一人でもボブ・ディランやらニール・ヤングみたいに、部屋の隅っこの
小さなラジオから流れてても「ん?」と聞き耳を立ててしまうような「響き」を
持つ声の持ち主がいる。「あー」と出すだけでも雨やら風を感じさせる声。
が、最近巷で聞かれる音楽ではあまり見かけない。
「ほー上手いねー、それで?」という感じ。


この「響き」という概念を文学に例えて言うなら、それは「文体」である。
書かれている内容とか表現を別にして、読む人をすうっと巻き込んでしまうような
文章の「響き」がある。そういう文章に出会うと、多少難しかろうが何だろうが、
スイスイと入り込んでしまう。言葉の流れと響きに、楽しく体を委ねる事ができる。


で、写真はどうだと聞かれると、そもそも写真というものが「響き」で
成立しているもの、それを感じる行為なのではないか、と思うのである。
そこに写っているものが何だとか、その背景がどうたらとか言う以前に、
写されたその光景の「響き」を感じる行為そのもの、なのではないかと
考えるのであります。


なんて事をボーッと考えつつ、ビールを飲んでました。
今日も一日が終わろうとしています。では、おやすみなさい。