また逢う日まで

その人はにこやかにギャラリーに現れると、僕の写真を1枚1枚、
丁寧に見ていった。40枚程の写真をじっくりと、時間をかけて。
全ての写真を見終わったと思ったら、その人はもう一度ギャラリーを
一周した。1枚1枚、何かを確かめるかのように、時間をかけて。


それからその人は僕に右手を差し出し、にっこり笑ってこう言った。
「入澤といいます。よろしく」
何が何だか分からないまま、僕はその大きな手を握り返していた。
ただ、写真を何度も何度も見てくれた事が、とても嬉しかった。


それが僕と編集者・入澤美時さんとの出会いであった。
2004年夏、『終りの町』という展覧会での事だ。


以来、入澤さんは、何度も展覧会に足を運んでくれた。
それだけではなく、入澤さんの雑誌『陶磁郎』に僕の写真を載せてくれた。
写真とは全く関係のない焼きものの雑誌に、編集長・入澤さんが設けた
「やきもの写真工房」という見開きの連載ページがあり、そこに僕の、
北海道で撮った写真を載せてくれたのだ。
初めて、印刷物となった自分の写真を見た。嬉しかった。有難かった。


『BLACK DOCK』が出来上がった時は、我が事のように喜んでくれた。
昨年末の『Different Trains』の時は、写真を何枚も何枚も指差してはこう言った。
「これもこれも、前は無かった写真だ。こんな写真を撮れるようになったのか!」
嬉しかった。誰の、どんな言葉よりも勇気づけられる言葉だった。


病に倒れた、と聞いたのはつい2日前の事。
恵比寿の病院に駆けつけた僕に、入澤さんはこう言った。
「お前の写真さ、最初に見た時から『今はこういう写真だけど、
ここに気付けばいいなあ、こうなればいいなあ』と思っていたんだ。
そしたら写真集がさ。...いやあ、びっくりしたなあ。嬉しかった」


『陶磁郎』に載った写真を今見ると、入澤さんの言った事がよく分かる。
それらはどれも、『BLACK DOCK』への予感を感じさせる。
入澤さんは分かっていたのだ。あの下手くそな『終りの町』を見た時から。
その後も何度も迷走する僕の写真を、入澤さんはずっと見続けてくれていた。
「おう鶴田、元気か」と、いつもの笑顔を浮かべながら。


今日の夕方、配達を終えた頃に携帯が鳴った。水谷さんからだ。
「入澤さん、ダメだったよ」
午後3時過ぎ、入澤さんは帰らぬ人となった。


携帯を切り、バイクのエンジンをかける。さあ、帰ろう。
咲きかけた桜の木が何本か目に入る。
そうか、春か。
こんな美しい季節に去っていくなんて、最後の最後まで粋な人だな。
でも、まだ早過ぎるよ。
まだ見てもらってない、見てもらいたい写真が山程あるのだ。
涙が止まらなくなった。


入澤さん、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します。