need somebody, not just anybody

朝、大学に着く直前に、車のエンジン
ルームから煙が出てきた。
急いで駐車場に車を入れてエンジンを
切り、ボンネットを開けた。
煙はすぐに収まった。


やれやれ。
今日修理に出すつもりだったのに。
間に合わなかったか。車には疎い
けど、こりゃもうダメだ。
修理の手配をしなければ。


保険会社に電話して段取りをする。
初めての経験だから分からない事
だらけだ。保険会社で整備工場を
手配してくれる訳ではないのね。
工場まで運ぶだけなんだ。
そんな事すら知らなかった。


馴染みの整備工場が開くまでには
まだ時間がある。今やれる事は無い。
修理には時間がかかりそうだから、
日曜日、岩泉まで運転しなくていいな。
そう思った瞬間、深く深く息を吐いた。
何もしなくていいんだ!
やっと休めるんだ!そして気付いた。
「限界だったんだな」


昨日「疲れてるな」と気付いたけれど、
疲れてるどころかもう限界だったのだ。
いま気付いた。


9時に整備工場へ連絡して修理の手はず
をつけて、保険会社にまた電話する。
「工場まで立ち会ってもらわないと
修理できない」と保険会社が言うので
休む手続きをする。


とは言え、明朝の報告会の資料を
今日中に出せと言われてるので、
大学に帰ってこなければならない。
仕方ない。でももう限界なので、
やれる事しかやらないことに決めた。


10時にレッカーが到着した。
レッカーの運転手さん、いい人だったな。
本来は整備士なそうで、だからという
訳では無いけど、バス整備士だった父と、
一緒に働いていた人達にどこか似ていて
懐かしかった。盛岡に帰ってきて初めて
良い人に会ったなと思ったくらいだ。
多分沿岸の人だな。内陸じゃねえわ
(決めつけるなよ)。


車から煙が出た時、真っ先に父の事を
思い出した。いつも家を出る前に仏壇を
拝むのだが、今日はつい弱音を吐いて
しまったのだ。
「父さん、さすがに疲れたわ」
だから父が助けてくれたような気が
したのだ。多分そうだ。ありがとう。


昔からそうだった。追い込まれると
どこからか救いの手が差し伸べられる。
いつもでは無いけれど、ここぞという
時に何度も助けられてきた。
どなたか存じませんが、いつも本当に
ありがとうございます。
おかげで生きてます。


工場に車を預けて、代車で大学に帰って
きた。エアコンのコンプレッサーが
錆び付いていてファンが回らず、
ベルトに負荷がかかって焦げたそうだ。
だから夏場にエアコンが効かなかった
んだな。全てが繋がった。
修理代は結構な金額になりそうだ。


早く直せば良かったと思ったけれど、
こうなる前にこの金額を出されても
納得できなかっただろうし、そういう
運命だったのだと考える事にした。
岩泉までは峠道なので、今日故障に
気付いて本当に良かったと思う。
やっぱり、助けてもらったのだ。