不在の朝

「厚博」という名前は父が付けた。
この漢字を使うのはちょっと珍しいので、
子供の頃父にその由来を尋ねた事がある。
父は自慢げに説明し始めたのだが、
少し酔っていたせいかなかなか本題に
入らず、長話になってしまった。


段々僕がイライラし始めた事に
気付いた父は突然怒り始めた。
「それにしても最近のお前は!」
僕も爆発した。何でそうなるんだ。
二度と名前の由来なんか聞くもの
かと思った。


それから何十年も経って「ちゃんと
聞いておきたいな」と思うように
なっていたが、「いつでも聞けるだろ」
とそのままにしていた。
でも、もう教えてもらう事が出来なく
なってしまった。


昨日の朝、父が息を引きとった。
病院から危篤の知らせを受けて、母は
家から、僕は大学から急いで駆けつけたの
だが、二人とも最期に間に合わなかった。
病院から連絡したすぐ後に、静かに
眠るように息を引きとったのだそうだ。


コロナの影響で病院への付き添いが
一切出来なかった。何度も粘って一度
だけ、それも10分だけ話をしたのが
半月前の事。それが最期の会話だった。
父が入院した時はいつも付き添って
声をかけていたのだが、今回はそれが
出来なかった。


今は斎場で父の側にいる。
穏やかで綺麗な顔をして眠っている。
半月前に医師から回復は難しいと
告げられ、迷った結果、一切の
延命治療をやらない事にした。
決めた後もずっと悩んでいたが、
穏やかで優しい父の顔を見ていると、
それで良かったのかなと思う。
でも、勝手な思い込みかも知れない。


もう20時間くらい経つのだが、まだ
信じられない。でも涙だけが不意に、
勝手に溢れ出てくる。
なんか書こうと思うけれど、余計な
事ばかりでもう何も浮かばない。
父がいなくなってしまった。