樹を観る人

父が亡くなって1週間が過ぎた。
29日に通夜、30日に火葬と葬儀が
無事に終わり、昨日が初七日だった。


家に仮の祭壇が置かれ、父のお骨と
遺影が載っている。
一日に何度も「そうか、もう居ないのか」
と思うけれど、実感が無い。


遺影は僕が撮った写真を使った。
20年前の、まだ写真を始めて間もない頃の
写真だ。写真家なんて言えない頃の写真
だが、父の表情がとても良い。
僕も母も気に入っていた一枚だった。


20年も写真をやっててこれを超えるものが
見つからないなんて何だか複雑だけれど、
父の古くからの友達やその子供達がみんな、
この写真を見た瞬間に口を揃えて「ああ、
ツルさんだあ(鶴田のおじさんだあ)」と
嬉しそうに言ってくれた事に救われた。


お通夜の日も葬儀の日も今年一番の大雪で、
おまけにコロナの影響もあって、親族と
近親者だけの式だった。でもとても親密で
温かい時間だった。
いつも他人の事ばかり考えているような人で、
その分ストレスも多く抱えていたけれど、
分かってくれた人は沢山居たんだな。
良かったなあ。


従兄弟が曹洞宗の僧侶で、僕にとっては
子供の頃から兄のような存在なので、今回
通夜から葬儀までの全てをお願いした。
その従兄弟が付けてくれた戒名がとても
素晴らしかった。
1つ1つの文字が父の人となりを見事に
表していて感激したのだが、特にその中の
「観樹」という二文字に感動した。


父は山が好きで休みの日はしょっちゅう
出かけていたし、若い頃から盆栽も沢山
所有し、全て大事に世話をしていた。
休日、朝から晩まで樹木に向き合っていた
姿を覚えている。


そんな静かで穏やかな父の姿が、「観樹」
という文字から浮かび上がってきた。
いつも庭先で、山の中で、静かに樹を
観続けていた。あの時、父は何を考えていた
のだろう?


これからずっと、この戒名を見る度に
そんな事を考えるんだろうなあ。
今はどんな樹を観ているのだろう?