最後の繁忙期

今日もバイト。年明けの日曜日に出勤する
なんて初めてだ。
多くの会社は明日が仕事始めだから
その後から仕事が増える。そこで増員する
べきなのに、こんな仕事の少ない日に出勤
させて、仕事が増える週後半は手薄なのだ。
いくら考えても全く意味が分からない。
今回の繁忙期を象徴しているなと思った。
誰も本気で考えていない。


先月の25日から今日まで、年末年始繁忙期
であった。これは年始限定配達物を正月に
配達する為の準備作業である。
いつもの配達を午前中に終わらせて午後
から準備をする。それをまとめて、元日
一気に配達するのである。
僕はこれまで14回、この繁忙期を経験して
きたが、今回はこれまで経験した中で
史上最悪最低の繁忙期であった。


何が最悪かと言うと、年内に交付された
配達物を元日に配達しきれなかったので
ある。準備が間に合わなくて組み込めず、
残してしまった。しかも2日分。
こんなの初めてだ。


理由は単純。昨年を上回る極端なコスト
削減である。いつもならこの時期は、
25日から全員が出社して、元日まで無休
で作業する。進捗が遅ければ残業を増や
して対応するのだが、今回はこれを一切
止めてしまった。
通常の勤務体制で押し通したのだ。


これにより常時3人は足りない状態で
作業する羽目になった。残業時間も規制
され、どんなに忙しくても最長2時間まで。
なおかつ、通常便の配達量が多い。
上の連中が、車の連中が配る荷物まで
こちらに廻してきたからだ。
配達だけで1日が終わってしまう人も多く、
ますます手薄になった。


結果、僕の場合だと一人で3人分の年始
配達物を扱わなければならなくなった。
何とかしようと朝は始業前から、昼は
昼飯抜きで作業していたが、間に合わ
なかった。


でも手伝ってくれる人間はいない。
上から下までみんな、自分の事しか
考えていない。
30日に非番で休んだら、僕の担当区域が
ほぼ完全に放置されていた。
結果2日遅れ。挽回不可能となったので
ある。かつて無い異常事態だ。
「今までこんな事無かったよ!」と周り
に訴えたのだが、どいつもこいつも
「仕方ないね」でおしまいだった。


「仕方ない」、大嫌いな言葉だ。
他人任せで自分では何の努力も工夫も
しない、先の事も一切見えてない奴が
使う言葉だ。
「仕方ない」と言える程、お前が何か
やったか?いつも通りダラダラして、
最初から諦めて投げてただろうが。
何も背負わず仕事を人任せにして逃げて、
何が「仕方ない」だ。ふざけんな。
奥歯がグラグラした。


1月2日は休配日で、1日内務作業をして
いた。遅れを取り戻すべく必死に準備した
のだが、翌3日に非番で休んだらまた
仕事がストップしていた。やっぱりな。
気を取り直して、昨日と今日で何とか
挽回した。これでとりあえず繁忙期終了。
終わった!


岩手に帰ると決めた時、真っ先に思ったのは
「これで赤バイクと縁が切れる」という事
だった。それは嬉しいなと思った。
ここで働くのが年々苦痛になっていたからだ。


生活するにはここで働くしかないし、他に
仕事を見つけられたとしても僕の家に配達
しに来るのは、ずっとうちの班の人間だ。
それが嫌だった。縁を切りたかった。
だからと言って引っ越す訳にも行かない。
ただただ憂鬱だった。辞めたいけど
辞められない。どうすれば良いのだろう?


でも岩手に帰るならば、完全に縁が切れる。
二度とこいつらに会わなくて済む。
横浜の街は大好きだし、大事な友達もいる。
離れるのはとても寂しいけれど、この仕事と
縁が切れる事だけは最高だなと思ったので
ある。


そして今回の繁忙期で、それを再認識した。
上から下まで、全員無責任で幼稚。
結局は親方日の丸、儲けが無くてもどっか
からお金が入ってくる。だから大した仕事
じゃないのに法外な給料がもらえる。
誰も創意工夫なんかしない。言われた事を
やるだけ。自分の事だけ考えていればいい。
そんな考え方が大嫌いだ。
僕は二度とこの仕事をしたくないし、
何より二度とこいつらに会いたくない。


この仕事のおかげで僕は13年間生活して
これたのだし、写真を続ける事ができた。
それは本当に有難い事だ。感謝している。
文句を言える立場ではない。
でも、もういい。さよならだ。


とりあえず一番大きい仕事がやっと
終わった。一段落ついたので、ここからは
自分の事、展示と引越しに専念します。