虹の下で

お客さんから時々、タイトルについて
聞かれる。「なぜ『虹の下で』なの?
虹の写真が無いのに」
言われるだろうな、とは思っていた。
理由はある。


このタイトルを思いついたのは6月、
盛岡から帰る新幹線の中だ。列車が
出てすぐに、それまで降っていた激しい
雨が止んで、空高く虹がかかった。
その下を列車が抜けて行った。


その時「虹の下には普通の生活があるの
だなあ」と思った。鮮やかな虹は空高い
場所にあって、その下にはごく当たり前
の景色がある。普通の生活がある。
その当たり前の光景をまっすぐに撮る
のが自分の仕事だと思った。


「虹の彼方に(Over the Rainbow)」と
いう有名な曲がある。
そのロマンティックなイメージは大好き
だけれど、僕は今、虹の下を歩いている
のだと思った。


とは言え、ただただリアリティだけを
追い求めるのも、しっくり来ない。
そもそも、リアリティとは何なのか?
とも思う。


であれば自分はどうするかと考えた時、
僕は空高くかかった虹を心に抱きながら、
目の前にある普通の景色をひとつひとつ
自分の眼で見て、撮りたいなあと思った
のだ。虹を忘れず、虹に頼らず。
そんな感じで。


とか何とか小理屈を並べたが、結局
最後は絞り込んだ写真を並べて決めた。
写っていないけれど、どこかに虹が
かかっている気がしたのだ。
それでタイトルが決まったのである。
すいやせん、カッコつけました。


これは作者の解釈(翻訳)なので、
色んな見方が他にもたくさんあると
思うし、あったらすごく嬉しい。
色んな意見を聞きたいなあ、と思う。
よろしくお願いします。