先日見つけた山田風太郎の「あと千回の晩飯」
の文庫本を、毎日部屋で読んでいる。
元々朝日新聞に連載されていたもので、僕は
連載中からすごく楽しみにして読んでいた。
何年か前に単行本化した時にはすぐ買い、
今も実家に置いてある。
が。今回この本を買った事で、僕の記憶には
色々思い違いがあった事に気付いた。
僕はこの連載を、まだ岩手に住んでいる頃に
読んでいたつもりだったのだが、実際は93年
から96年の連載であった。
僕はその頃既に、川崎で働いている。
ではどうやって読んでいたのか?
で、思い出した訳である。この頃僕は新聞を
購読していたのだ。
何故かは覚えてない。社会人としての常識を持とう
とか何とかでは無いのは確かだ。でも確かに、
間違いなく、僕は何年か新聞を毎日取って読んでいた。
だから知っていたのだ。すっかり忘れていた。
で、たまたま実家に帰った時に単行本を見つけて
「おーっ、出たな」と思って買って読み、そのまま
実家に置いてあったという訳だ。
しかもそれも最近の話、2000年の事であった。
うーむ。いつもながらアテにならない記憶力である。
それはともかく、このエッセイはやはり面白い訳で。
「いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回
くらいなものだろうと思う」という書き出しから、
老いと死を書き綴っている。その文体はあくまで
軽やかでユーモアに溢れている。
連載当時、僕はそれが70歳を過ぎた人の文章とは
信じられなかった。
でもまあ、僕も40代半ばになった。
今回読み返してみると、また感じ方が違うようだ。
単純に、理解できる事が増えたなあとも思う。
僕もあと何千回、晩飯にありつけるだろうか?