無風状態

今日もウダウダと一日を過ごしている。
いつもの駐車場に車を停めて、撮影して、
途中で昼飯を食べて。そろそろ経済的に
厳しくなってきたので食べない日もあるが。


その後久々にハローワークに行った。
先週ぼんやりと「こんな仕事があったら
いいなあ」なんて思っていたので探してみたが、
そんなのある訳ない。僕が若かったとしても
多分無い。「だろうな」と思いながら出る。
さて、どうしたものか。


再び撮影を開始したものの、疲れてしまって
歩けなくなった。履いてきた靴のせいかなと
思ったが、多分それだけじゃない。


先週の土曜日に中学からの友人二人と飲んだ。
ここ数回言い合いになる事が多くてあまり
乗り気ではなかったが、とりあえず出た。
「今日は自分の話はしないぞ。分かってもらおう
なんて思っちゃだめだ」と思いながら。


結果、とても楽しい一夜となった。
二人が僕に気を遣ってくれたんだろうな。
なんか、ホッとした。


ただ飲み過ぎたようで(またか)。
彼らと別れてから一人mujinaに向かう途中で
転んで、右の掌と左肘を深めに擦りむいた。
なんとかmujinaに着いて寝て、翌朝家に
戻ったが、そこから段々具合が悪くなって
結局夕方6時まで寝込んでいたのである。
やっと起きれるようになったら右の足首も
ちょっと痛む。やれやれ。いつまでやるんだ。


長くなったが、そういう事情があったのだ。
まだ本調子じゃなかったみたい。
昼飯にラーメンを選択した時点で何か
おかしかった。いかに「中河」のあっさり
中華そばとは言え、油物を入れられる状態
ではなかったのだ、きっと。


撮影を切り上げてどこかで考え事をしたい
なと思った。
図書館は定休日なので蔦屋書店へ。
ここのカフェ・スペースはゆったりできるし、
勉強やPC作業をしている人も多い。


月曜だからゆっくりできるかと思って行ったら
結構混んでいた。書き物や考え事をするのに
最適な席があるのだが、そこが埋まっていた。
中学生がその席で延々ゲームをやっていたので
見て軽くイラっとする。そこじゃなくても
できるだろうが。


仕方なく、別の席に座る。
本日の総括と今後どうするかをぼんやり考えて
(しっかり考えろや)、ちょこちょこ書き物
して、今このブログを書いているのである。
あっという間に3時だ。そろそろ帰るか。

キリギリス

昨日から撮影を始めた。
朝8時過ぎに家を出て、
肴町の駐車場に車を入れて撮影開始。
昼頃まで撮影した後はリニューアルされた
ばかりの盛岡市立図書館でぼんやり考え事を
して、また撮影に戻って夕方に帰る。
半分撮影、半分考え事といった感じで、
まあ大層なご身分である。
このブログも図書館で書いている。


昨日撮影を始めてすぐ思ったのは、
「無職で撮影するのって楽しいなー」
だった。明日のことを考えず、何かに
気持ちが引っ張られることも無く、ただ
無心に写真を撮れるって本当に楽しいな。
18年前はそうだったのだ。忘れていた。


生活やら将来やら、胃の底が重く軋むこと
は確かにあるし、18年前より遥かに切迫
しているのだけれど、写真を撮ることは
文句無しに楽しい。


昨日は特に楽しくて、いつものコースを
ひとつ外れたら見た事が無い通りに出た。
その後も次々知らない町が現れてきて、
「そんな場所、まだあったんだ」と
思ったのである。


そうして撮り歩いているうちに突然よく
知っている通りに出たりすると、また
感激した。頭の中に断片的に存在していた
盛岡の地図がいくつか繋がったような
気がした。


今日はとても天気が良かったので
あまり撮影する気にならなかったが
(最近曇りの方が面白い)、いざ撮影
してみたら楽しかった。光が違うだけで
見え方が違う(なにを今更)。


つくづく「僕はキリギリスなんだな」と
思う。童話の「アリとキリギリス」だ。
ずいぶん長いこと自分はアリさん気質だと
思っていたけど、違うみたいだ。
アリさん達のことを尊敬しているし、そう
なりたかったし、そういう環境で育った
から間違いないと思っていたけど、
どうもそうではないようだ。


コツコツ備えることをしないし、天気が
良ければ外でふらふらして歌ってばかり。
それが楽しくて仕方がない。
反省もしないし、それができなくなると
イライラしたりシュンとしたり。
ほんとにしょーがねえ。


結構前から気付いてはいたが、
「そういう事ではいけないんですよ」
と言い聞かせて、抑え込んできた。
が、抑えきれなかったようで、今日の
僕がいる。


抑え込むとか矯正するという方向性では
無いのかもなあと思いつつ、「じゃあ
どうすんのよ」と問いただしながら、
いま僕は図書館の窓からぼんやり高松の池
を眺めている。
もう春だなあ。歌いたいなあ。

あけぼの

明け方、大きな地震で目が覚めた。
震度5弱だったらしい。最近では一番
大きかった。でも大丈夫です。
被害はありませんでした。


午前中は近所の公園へ、トイレを
掃除しに行った。
今週は当番なのだ。3つの地区の
持ち回りなので滅多に回ってこない
そうで、母に「覚えておきなさい」と
言われて連れて行かれた。


覚えたってねえ。冬場は半年閉鎖してる
から、数年に1回しか回ってこないのだ。
絶対忘れるわ。
昨日も来たのだが、持っている鍵だと
掃除用具入れの扉しか開けられなかった。
なんだなんだとなって、区長やら
色んな人が集まってやっと分かった。
「鍵は役場の人が開けるらしい」
冬季閉鎖明けはそうなっているようで、
誰も知らなかったのである。


今日は空いていたので掃除を始める。
やっているうちになぜか「社会奉仕」と
いう言葉が頭に浮かんだ。
当番なんだけどね、無職の人間がこういう
事をしていると何かの罪滅ぼしみたいだ。
考え過ぎか。


家に帰ったら速達が入っていた。
共済組合員の資格喪失証明書が届いた。
午後からそれを持って役場に行き、
国保の保険証を交付してもらった。
ああ、この保険料も払わなきゃならない
んだなあ。あと年金か。はあ。


またしても現実を突きつけられたが、
それでも外に出て良かった。
気持ちが前向きになる。
コンビニに寄ってコーヒーを買い、
車内で飲む。いい天気だ。春だな。
腰痛も治ってきたので、明日は外に
出ようと思う。

住所確定無職無収入

どっかで使ったことのあるタイトルだなと
思って調べてみたら、5年前に「住所確定
有職無収入」というタイトルでブログを
書いていた。骨折して仕事を休んでいた
時期なので「有職無収入」だ。


無職になって3日目である。
初日は車の12ヶ月点検だった。
ちょっとした部品の交換で追加費用を
取られてガックリする。
車っていつもそうだ。お金が無い時期に
何かしら費用が発生する。
こんなの贅沢品じゃねえか。なんで
贅沢品が生活必需品になってるんだ。
おかしいだろ。


あー痛い。痛いと言えば先週から腰痛が。
先週報告書を書き終えたあたりから
じんわり痛み出して、なかなか治らない。
撮影に行きたかったが、休むことにした。
ひたすら部屋で寝て過ごす。


休むことにしたものの、家にいると
落ち着かない。どこで知ったのか(俺が
言ったんだっけか)誘いの連絡もいくつか
来たけど気が重い。一人になりたいのよ。


早く仕事探しに行けよ、と言われそう
だが、これがなかなか難しい。
前にも書いた通り、大学からの給料は
先月がラストである。4月は無い。
なので失業手当がどうしても必要なのだが、
それには色々条件がある。


離職票ハローワークに出さなければ
ならないが、それが届くまでに2週間くらい
かかるのだ。それまでに仕事が決まると
手当が受けられないのである。
離職票を出した直後に新しい仕事が決まる、
というのがベストだけれど、そう上手く
行くはずがない。さあ、どうしたものか。


とは言え、考えてばかりでも無職は続く。
動かなければ、と立ち上がったら腰が痛い。
なんともはや。

分岐点

昨夜から激しい雨。笑ってしまった。
「やはり降ったか」
雨男健在である。
人事課に向かう途中で更に激しくなり、
風も強くなった。傘を差していても
靴やズボンがびしょびしょになった。


そこで思い出したのである。
「最初の日もそうだったな」
4年前の4月1日もこんな天気で、
スーツの裾がびしょびしょに
なったっけ。


今日で大学での仕事はおしまい。
人事課で色々説明されるかと思ったら
職員証と保険証を返したらおしまい
だった。入る時は色々あったのに。
赤バイクよりあっさりしている。
ま、その方がありがたい。


10時に教授が来て引継ぎ。
データもサンプルもきっちり整理して
おいたので、あっさり終わった。
餞別代わりにMacBookAirを譲って
くれないかな、と思っていたが
ダメだった(当たり前だ)。


「お世話になりました」と言ったが
「お疲れ様」の一言すら無かった。
今月で定年になって立場が変わるので
忙しいんだよ、だけだった。
ここ最近、そればかり言う。
だからどうした。


最初の年、一度だけ本気で教授に怒鳴り
返した事がある。ある日突然部屋に
入ってきて長々怒鳴られたのだが、
その言葉にあまりに思いやりがなかった
ので爆発した。
父の容体が悪化して、いつどうなるか
分からなかった頃だった。
今でもあれは許せない。


以来「そういう人なんだな」と認識して
いたので、今日も「分からないだろうな」
と思って笑っていた。
それから准教授と助手にも挨拶する。
こっちもまあ、そんなもんだ。
It's a small world、である。


外に出たら雨が収まっていた。
空を見上げた瞬間、「やりきったな」
と思った。やれる事は全てやった。
思い残す事は何も無い。
特にこの3ヶ月、全てを注ぎ込んで
本当に良かった。
もう、何の悔いも無い。
それだけで十分だ。


同じ部屋で実験していた准教授にも
挨拶する。大学時代僕が所属していた
研究室の3年先輩で、大学の中で唯一
共感できる人だった。
職人気質の研究者だ。多勢に流されない
から誤解されているかも知れないけれど、
一番真っ当な人だと思う。
休出するとその先生がいつも居て、
お互い笑ってしまった。


この仕事に就く前に不安だった事がある。
「この仕事がうまく行かなかったら、
楽しかった大学時代の思い出まで失われて
しまうんじゃないか?」と。
でもそんな事は無かった。
学生と職員という立場の違いもあるけど、
何よりここはもう、かつての大学じゃない。
全て変わってしまった。
別の場所だから、思い出が損なわれる事は
無い。寂しいけれど嬉しかった。


お世話になった方々に挨拶して、最後に
同僚にお礼を言う。本当に勉強になった。
ありがたかったな。


4年間、楽しい事なんか一つも無かった。
辛かったし苦しかった。
でも多分、とても大事な分岐点だったと思う。
その試行錯誤を写真にフィードバックできた
ことが、一番嬉しい。


2時に大学を出た。雨が上がったので
車に乗る前に写真を撮る。
これでおしまい。明日から無職だ!

It's all over !

終わった。
実験と機器分析と報告書作成が
全て終わった。あとは実験台やら
データやらの片付けが終われば
晴れて無罪放免だ。終わったあ!


それにしても長かった。
実験が終わったのが21日。最後の
最後、これで失敗したらもう
諦めようと思っていた実験で
要求されていたサンプルが次々
できあがった(上手く行った、と
いう程ではないけどなんとかできた)。


別に無理する必要は無かったのだ。
「できませんでしたー、じゃあねー」
で済んだのだ。実際、そんな簡単な
仕事ではなかったし、かと言って
ロクなアドバイスも無かったし。
仕事探しを棒に振ってまでやる事は
なかったのだ。


でも何とか終わらせたかった。
できたところで誰も認めてくれないし
「当たり前だ」と思われるだろうけど、
こちらにも意地があった。
自分が納得したから、これでいいのだ。


そして報告書。
今年の報告書は4年間の総まとめで、
全部で9章になる。6章までは昨年末に
出来上がっていた。
残る3章のうち最後の第9章は簡単な
まとめなので、他の8章から抜き出せば
良い。残りは2章だけだから、すぐに
書けるだろうと思っていたら、甘かった。


その2章は昨年から始めた仕事で、
それまでとは毛色が全く違うのだ。
学生の卒論やら修論を集めてみたが、
上手く当てはまるものが無い。
どうまとめて良いのか分からず、
最初の1週間は何も手に付かなかった。


実験が終わって報告書に専念できるよう
になり、少しずつ進み始めた。
先週の土曜日に休出して、これで仕上がる
かと思ったら、ここで大きな壁が。
3時間ほど机に突っ伏した。
結局日曜日も休出。昨日第一稿が完成した。


今日は校正。丸一日かかったけど、
なんとか終わった。
本文147ページ、データ集72ページで
全219ページ。我ながらよくやった!
誰も褒めないから自分で褒めてやる!


満足してないけど全力は尽くした。
それで良い。思い残すことは無い。
さあ、来週から無職だ!(はあー)

13年

昨日、一昨日と休日出勤で、
今日は年休を返上して2時まで仕事。
それでも、やればやるほど上手く
行かなくなっている気がする。
丁寧にやっているつもりだけれど、
結果に繋がらない。
休んだ方が良いのは明らかだが、
残り時間が少ない。


疲れが溜まっているからだろうが、
いつも以上に小さい事にイライラして
いた。「ああ、良くないなあ」と
思い、仕事帰りに蔦屋書店に寄って
本を探したりコーヒーでも飲んで
気分転換しようとしたが、やめた。
早く帰って寝よう。


家に着いてすぐ寝て、起きて夕飯を
食べる。テレビで震災の話をしている。
でも、あまり見ないようにした。
なぜか分からないけれど今年はその事を
文章にしたくないなという気持ちが
あって、テレビやネットでもその話題を
見ないようにしていた。


風呂に入る。
湯船に浸かってぼんやりしていたら、
突然色んな記憶が蘇ってきた。
その当時と、それから13年の記憶だ。
次々に湧き出しては、湯気の中に
消えていった。


「忘れることなんて無いんだな」と思った。
日々様々な、大抵は取るに足らない
小さなことに囚われながらも、この日が
来たら毎年思い出して考え直すんだろうな、
と改めて認識したのである。
まだ13年だ。