キリギリス

昨日から撮影を始めた。
朝8時過ぎに家を出て、
肴町の駐車場に車を入れて撮影開始。
昼頃まで撮影した後はリニューアルされた
ばかりの盛岡市立図書館でぼんやり考え事を
して、また撮影に戻って夕方に帰る。
半分撮影、半分考え事といった感じで、
まあ大層なご身分である。
このブログも図書館で書いている。


昨日撮影を始めてすぐ思ったのは、
「無職で撮影するのって楽しいなー」
だった。明日のことを考えず、何かに
気持ちが引っ張られることも無く、ただ
無心に写真を撮れるって本当に楽しいな。
18年前はそうだったのだ。忘れていた。


生活やら将来やら、胃の底が重く軋むこと
は確かにあるし、18年前より遥かに切迫
しているのだけれど、写真を撮ることは
文句無しに楽しい。


昨日は特に楽しくて、いつものコースを
ひとつ外れたら見た事が無い通りに出た。
その後も次々知らない町が現れてきて、
「そんな場所、まだあったんだ」と
思ったのである。


そうして撮り歩いているうちに突然よく
知っている通りに出たりすると、また
感激した。頭の中に断片的に存在していた
盛岡の地図がいくつか繋がったような
気がした。


今日はとても天気が良かったので
あまり撮影する気にならなかったが
(最近曇りの方が面白い)、いざ撮影
してみたら楽しかった。光が違うだけで
見え方が違う(なにを今更)。


つくづく「僕はキリギリスなんだな」と
思う。童話の「アリとキリギリス」だ。
ずいぶん長いこと自分はアリさん気質だと
思っていたけど、違うみたいだ。
アリさん達のことを尊敬しているし、そう
なりたかったし、そういう環境で育った
から間違いないと思っていたけど、
どうもそうではないようだ。


コツコツ備えることをしないし、天気が
良ければ外でふらふらして歌ってばかり。
それが楽しくて仕方がない。
反省もしないし、それができなくなると
イライラしたりシュンとしたり。
ほんとにしょーがねえ。


結構前から気付いてはいたが、
「そういう事ではいけないんですよ」
と言い聞かせて、抑え込んできた。
が、抑えきれなかったようで、今日の
僕がいる。


抑え込むとか矯正するという方向性では
無いのかもなあと思いつつ、「じゃあ
どうすんのよ」と問いただしながら、
いま僕は図書館の窓からぼんやり高松の池
を眺めている。
もう春だなあ。歌いたいなあ。