うさぎとかめのデッドヒート

「うさぎとかめ」という童話が、昔から
気になって仕方がない。


基本的に僕はカメの側にいる。そういう
タイプの人間だと言われるし、自分でも
「そうだよなー」と思う。その立場から
見るのだが、その時々によって見方が
変わるのだ。


10代の頃は「一生懸命頑張ればカメでも
うさぎに勝てるのだ!」と信じていた。
単純で希望に溢れていた。


20代に入ると「待てよ」となる。
うさぎは確かに負けた。でもその敗因を
理解したうさぎは、もう油断する事は
無いのではないか。もう一度競ったら、
才能に溢れたうさぎには勝てないのでは
ないか。才能のある者が敗北の理由を
理解したら、二度と敵わないのでは
ないか。そう思うと胸が締め付けられた。


30代に入るとまた考えが変わる。
一度勝つ事を知ったカメは、もう昔の
カメではない。勝ちたくて勝てなくて、
悔しさを知っている分だけ、もっと
勝ちたいと願って精進する。
逆に負けを経験したうさぎは、どこか
気持ちが引き下がってしまう。
すごく大きな差がついてしまうのでは
ないか、と。


40代に入ってまた変わる。成功を収めた
カメは慢心して、それまでの彼を支えて
きた部分を失ってしまう。そうなったら
カメはとことんダメになる。
逆にうさぎは自由に走る事の喜びを思い
出して再び輝き出す。才能のある者は
そこから強く這い上がる。


実際はもっと複雑で多面的だが、今まで
見てきた色々なものから受けた印象を
元に、そんな事をいつも考える。
一寸先はどうなるか、本当に分からない。
昨日までの長所が短所に変わったり、
逆もまた然り。そんな事はそこら中、
あちこちにある。
うさぎとかめは、いつもデッドヒートを
繰り広げている。


とりあえず「僕はカメだな」という認識
を忘れないようにしなきゃな、と思う。
卑下する訳ではなく、変に自慢する訳
でもなく淡々と。何があっても。


座標みたいな感じだ。「僕はx=3,y=-2
にいるんだよな」みたいな。
「僕はもうy=100の人間だ」とか「yが
マイナスだから俺は違うんだよ」とか
考えたら失われるよなーと。
考えてるヒマがあったら動けーと。


何言ってるか分かりませんね。
お酒飲んだ後に書いてます。以上。