ドラフトとスクラバー

朝9時に設備保全チームの人が来た。
ドラフト(実験室内で使用する局所排気
設備)から異音がするので点検をお願い
したのだ。


「このドラフトなんですけど」
「ああ、凄い音ですねえ。どれどれ」プチ。
「ん?あの、電源全部落ちちゃいましたけど」
「はい」
「いや、今実験やってるんで止められると
困るんですよ」
あと2時間で終わる反応の撹拌が止まって
しまった。
「はあ」


思い出した。こういう設備保全の電気担当者
って、ろくに確かめないで電源を落とす事が
あるんだった。29年前の記憶が蘇る。


工場で働いてた時の事。ボイラーの方から突然
黒煙が上がったので急いで向かったら、電気
工事の担当者が誤ってボイラーの重油ポンプの
電源を切ってしまったのだ。
一歩間違ったら大事故であった。


無事にボイラーを停止してホッとしてたら
この電気屋、「間違って切っちゃいましたー」
だと。殺してやろうかと思った。
こっちは心臓バクバクだったのに。
そんな事が他にもいくつもあった。
ま、今日の実験はそんな怖いものじゃない
ので、穏やかに電源を復旧した。


「ああ、ポンプが空回りしてますねえ」
「え?」
「スクラバーの循環ポンプなんですけどね、
 水が入ってないのに回ってるんですよ」
「え?」


スクラバーというのは吸引した有害なガスを
水で叩いて捕集する装置である。その水を
循環するポンプが空回り?ポンプが壊れるで
しょうが。
「なんかこの棟ではスクラバーを使わない事に
 しているみたいなんですよねー」
いやいや、じゃあポンプを止めなさいよ。
しかもこれ、マグネットポンプじゃないか。
よく壊れなかったな。


「ドラフトのファンとポンプが連動してる
 みたいで単独では止められないようですね。
 じゃあ水を入れて回してみましょっか。では」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってください!」
「え?」


「排水のバルブをあえて閉めてますよね?
 これは捕集した後の水を系外に出さない為とか、
 勝手に開けて水を流したらこの棟のどっかから
 水が吹き出すとか理由があるからでは?だから
 スクラバーを使わないようにしてるのでは?」
「はあ」
「それを確認しないで水を流すのは危ないと思い
 ますよ」
「はあ」


「そもそも異常があるのはファンだからポンプは
 関係ないですよね。空運転は気になりますけど
 とりあえずこっちはほっといて良いと思いますよ。
 ドラフトを使わない日に点検して、その時に
 ポンプの電源を切り離しては?業者対応が必要
 ならば、6月以降ならいつでも大丈夫です」


必死に説得した。これ以上傷口を広げてたまるか。
そうじゃなくても昨日から実験がトラブル続き
なのだ。危ねえ危ねえ。


何とか納得させて2次被害を防いだのだが、
ここでふと我に帰る。
「スクラバーとかマグネットポンプとか排水ライン
 がどうしたとか、どこから出て来たんだ?」


こんな単語を発するのは、多分16年ぶりだ。
もっとも、こっちの方が実験室用語より長く
使ってきたし、その怖さは肌身に染みている。
大したレベルの話じゃないので、覚えていても
何ら不思議ではないのだが、ちょっと
嬉しかったのである。へへへ。